2004年 11月 12日
ぼくたちは「ふつう」じゃない |
〜異形ファイターたちの居場所〜
池内晴美 著

(写真)ドッグレッグスの看板レスラー、サンボ慎太郎。
殴られ蹴られても一発逆転の関節技に賭ける、障害者レスラー界の柔術マジシャン。得意技は腕ひしぎ逆十字。
「障害者と健常者は同じ人間」
当たり前のように語られるこの言葉が信じられなくなった時、
互いに極限まで向き合った、障害者と健常者がいた。
障害者プロレス団体、ドッグレッグス。
タブーを売りにしてまで、彼らが考え、目指し続けるものとは?
「障害者と健常者は同じ人間」
当たり前のように語られるこの言葉が信じられなくなった時、
互いに極限まで向き合った、障害者と健常者がいた。
障害者プロレス団体、ドッグレッグス。
タブーを売りにしてまで、彼らが考え、目指し続けるものとは?
●障害者が裸になれる場所
「174センチ78キロ、殴る!蹴る!極める!相手が障害者であっても問答無用。俺が福祉と言い切る男、アンチテーゼ北島!」
会場の歓声は、これまでで一番の大きさだ。盛大な拍手と歓声に迎えられロープをくぐるのは、障害者プロレス団体ドッグレッグス代表の健常者レスラー、アンチテーゼ北島。
「対するのは、190センチ110キロ、全盲レスラーが遂に参戦。圧倒的な肉体が、視覚と技術を凌駕する!ブラインド・ザ・ジャイアント!!」
先ほどよりさらに大きな声援が怒号のように渦巻く。小さな子供に手を引かれ、悠然とした足取りでリングに表れたのは、まさに大男。大会始まって以来初の全盲レスラーの登場に、会場のざわめきはなかなかやまない。
一瞬の静寂。
障害者プロレス団体ドッグレッグス第64回興行、ラウンド9。
3分3ラウンド、障害者対健常者特別試合の火蓋が切って落とされる。
「ファイト!!」
ゴングの音が会場に鳴り響いた。
ドッグレッグス。米国語のスラングでずばり「障害者」を意味するこの団体は、アンチテーゼ北島こと北島行徳を代表とし、1991年に旗揚げ。彼らの興行は、障害者同士のみならず、障害者と健常者が本気で闘うという誰も踏み込まなかった領域に敢えて挑むことで、これまでの障害者福祉に対して大きな疑問を投げかける。一部のボランティア団体からは「障害者を見世物にしている」とのバッシングを受けながらも、障害者の表現の場を提供し続けている。
北島は自身のボランティア経験から障害者福祉の現状に疑問を抱き、若干26歳でドッグレッグスを旗揚げした。彼は著書「無敵のハンディキャップ」の中で、「今の社会は『障害者も健常者も同じ』という免罪符を掲げ、障害者に関する思考を停止している。」と訴える。絶対的多数の健常者である私たちが、『障害者と健常者は違う』という事実を受け入れ、障害者と正面から向き合わなければ、彼らにとって本当に生きやすい社会は実現しない、と。
私は、障害者という存在に強く惹かれる。街で見かけると、見てはいけないと思いながらもつい目で追ってしまう。手の届かないものへの憧れ、好奇心、怖いもの見たさ・・・。自分でもうまく説明できない感情が、彼らの姿を見ると沸き起こってくる。
幼い頃から彼らへの関心は尽きなかった。小学生の頃、毎週土曜日に通っていた書道教室の隣に住んでいたやっちゃん。20歳くらいだっただろうか。ときどき私たちの自転車置き場をのぞきに来ては、ヘルメットにバッタを入れたり、飲みかけのジュースをカゴに入れたり、いろんないたずらをして帰る。障害者であった彼女を友達は怖がったけれど、私は彼女の間延びした話し方と動きが好きで、教室の窓からその姿をよく眺めていた。
しかし年齢を重ねるにつれ、その感情に対し後ろめたさを感じるようになっていた。
「街で障害者の人に会っても、じろじろ見てはいけません」
誰に教育されたのでもない、いつのまにか刷り込まれていた「障害者も同じ人間」という謳い文句。確かにそうだ、この世に生を受けた同じ人間、そんなことは理解できる。ならばこの感情は一体どこから生まれてくるのか。抱いてはいけないものなのか。そう思うようになってから、私は障害者に関わることを意識的に避けるようになった。興味本位で近づくことで彼らを傷つけるのは怖かったし、何より自分自身が「障害者を差別的な目で見ている」と認識することが、恐ろしかったからだ。
私は今、障害者と健常者が本気で殴りあう姿を目の当たりにしている。障害者と健常者は違う。それを、観客の目の前につきつけるための試合を。
試合は1R2分50秒で、初参戦のブラインド・ザ・ジャイアントが勝利した。ハンディをもろともせず、ひたすら北島に掴みかかり接近戦を挑んだジャイアントの打撃力と、圧倒的な体格差が勝因だった。北島の再挑戦状がマイクアナウンスで響き渡り、鳴り止まない拍手とともに最高の盛り上がりのまま、興行は幕を閉じた。
●「障害者の人を、じろじろ見てはいけません。」
後日私は、改めて北島に取材を申し入れた。祖師ヶ谷大蔵の駅に着いたのは約束より二時間も前の午後一時。近くの喫茶店でひたすら彼の三冊の著書をめくり、メモをとる。
北島は三時ちょうどに駅に現れた。少し硬い表情で挨拶を交わし、またすぐに歩きだした彼の後を追いながら、つい10分前までいた喫茶店に再び入る。目配せする店員に、緊張が和らぐ。
私はまず、何よりも一番聞きたかった、北島が障害者に惹かれる理由を聞いた。
「彼らの肉体的特徴に惹かれる部分は、もちろんありますよ。」
北島は言った。
「自分が持っていないもの、それは肉体面でもそうだしカネでも名誉でもなんでもいいんですけど、それに対して興味だとか畏れだとか憧れだとか、人間はいろんな感情を持つわけですよね。僕自身、興行の中の見世物小屋的な要素は否定しません。」
淀みない答えだった。自分の中にあった重石のようなものが、少しだけ軽くなったような気がした。
「それはきっと、彼らの身体から感じられる死のイメージから、逆に強い生のイメージを感じるということなんじゃないかと僕は思ってます。最初は僕も、そういう風に感じる部分は大きかったんだけど、ただ見た目って慣れちゃえばどうってことないんですよね。」
北島は続ける。
「僕が惹かれるのは、身体的に『普通じゃない』という部分よりも、人間性がちょっと普通じゃない、ダメな部分の方が大きいんです(笑)。ある程度重度な障害を持つとみんな多かれ少なかれ屈折してます。その意味では僕も負けてはいませんけど(笑)。だから、大抵の障害者は面白いんですよ。わがままで腹が立つことも多いけど、でもずっと付き合ってる。もし彼らがただ障害を持つだけの人だったら、こんなことにはなってないでしょうね。」
北島自身、初めてボランティアに参加した理由は、自分より惨めな存在の障害者に接することで自分自身が癒されるのではないか、そう思ったからだと著書で述べている。高校を中退、家に引きこもり、他人から置き去りにされているような劣等感を常に抱えていた。障害者との交流は、自らが引きこもりから脱出するための手段にすぎなかった。
「でも、実際接してみたら、彼らの弱い部分と自分の弱い部分とが、すごくよく似ていたんです。周りからの孤立感や、何も手に入らない焦りみたいなものが。彼らに接することで劣等感が癒されたのではなく、共有できた。だから彼らが必死で喘いでるのを見て何とかしようと思えたんです。それが自分の心の問題と立ち向かうための闘いでもあったから。」
自分でも何かを与えられるんじゃないか、そう思って近づいた障害者。しかし北島と彼らは、与える・与えられるの関係ではなく、同じものを求め悩む、同等の立場だった。もし自分が手助けすることで、彼らが望むものを手に入れることができるならば、自分もそれを手に入れられる、そう思ったのかもしれない。
●「普通」じゃないから、おもしろい
現在ドッグレッグスは、レスラー・スタッフ共に約三十名、総勢六十名あまりの大所帯。北島をはじめとしてその中心メンバー十数名が、毎週土曜日に世田谷にあるドッグレッグス事務所に集まりミーティングを行う。スタッフ、レスラーとその子供たち、介助アルバイトの近所の大学生。一体何の集まりかと思うような面々が、それぞれの仕事が終わった後に、コンビニで買った夕飯をぶら下げてやってきては仲間達と話し、またふらりと帰っていく。そこに、私の想像していた「障害者ボランティア」という型はまるで存在していなかった。
大学生の一人に話を聞くと、彼女は農業大学に通う学生で、それまでは福祉になど一切携わったことがなかったという。介助アルバイトという仕事に抵抗はなかったのかと聞くと、
「サークルの先輩に紹介してもらったんで、全然なかったですよ。週のうち何日か、朝10時半から夜の8時半まで、掃除と昼食とトイレ・入浴の手伝いが仕事。夜は家族と一緒にご飯を食べるんです。私は地方から出てきて一人暮らしなのですごく嬉しいし、よくしてもらってます。本当にありがたいですよ。」と笑顔で答えた。
ミーティングに参加していたレスラーの一人、ウルフファングは現在31歳。19の時からドッグレッグスに加わり、端麗な容姿と鍛え上げられた肉体で人気の彼。しかし一方でそれとは裏腹の破天荒な、北島曰く「ダメ人間」な生活ぶりは著書にも描かれ、現在ドッグレッグス看板レスラーの一人である。私は彼に、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。
「障害のある肉体を人に見られることに、抵抗はないんですか。」
彼は脳性麻痺のため、両脚に障害を抱えている。その腿から下は細く萎えていて、筋肉の緊張のため動かすことができない。鋭く大きな瞳を動かしながらしばらく考え込み、じっくり言葉を選んでから彼は言った。
「僕はプロレスを小さい頃からやりたいと思ってたんです。目立ちたいという思いもあったし。でも体を見られることに対する抵抗は、口では気にしてないと言いつつ、やっぱりあったと思う。でもね、こうして8年もリングに上がるうちに、慣れたんですよ。僕は確かにプロではない、けれど、おカネを払って見に来てくれる人がいる。その人たちを喜ばせなくちゃと思ったら、パフォーマンスをする余裕ができたんです。」
彼らの試合を見て一番面白いと感じたのは、観客への挑発と、パフォ−マンスだった。それが、体を見られることへの抵抗を打ち消す術の一つであったとしても、観客はそれを待っている。そんな彼らに魅力を感じる。だから彼らはリングに立ち続け、観客も彼らに声援を送り続けるのだろう。
北島は言った。
「誰が勝った負けたっていうのは、ほんとは僕にとってあまり重要じゃないんです。もちろん選手にとっては一大事なんだろうけど(笑)。それよりも重要なのは、彼らの自己表現の場であって、ああいう舞台があること。そこに僕がドッグレッグスをやる意味があると思ってるから。」
誤解を恐れずに言えばと前置きをして、彼は続けた。
「障害者が健常者と同じ舞台に立って五分以上に渡り歩くのは、僕は無理だと思うんです。いくら肉体的能力を器具でカバーできたとしても、やっぱり違う。そうなるともう障害者ならではの味で勝負する以外、ないってことですよね。」
「障害者はやっぱりすごい」ではなく、「障害者だからすごい」。見ている側にそう思わさなければ、観客からカネをとって見せるには価しないし、何より客など入らないだろう。
健常者に近づこうとするのではなく、障害者であることを強みにできる。それぞれ違うものである両者が、違いを認めあって互いに惹かれあい結びつく空間。それがドッグレッグスの舞台だ。そしてそれこそが、北島が切望してきた社会の形なのかもしれない。
『ドッグレッグスが見世物小屋だ』という批判。しかし観客からカネを取る以上、アイドルも音楽家も役者も、全ての表現者は自分が見世物であることを了解した上のはずだ。自己表現を研ぎ澄まし、社会に評価されることが、人の生きる糧となる。それはもちろん、彼ら障害者レスラーも同じだ。その意思を無視して、障害者を保護するという名目の元に浴びせられる「見世物」というクレームは、たとえ無意識であっても彼らの存在をおとしめ、無きものとして扱う排除の論理に準ずるものかもしれない。
北島は、「普通じゃないやつらだから、おもしろいんです」と言った。普通ではないということばにあるマイナスイメージから解き放たれることこそが、私たちと障害者の関係を考える上で一番大事なのだ。それを避けて、施しや憐れみが入り混じった心でボランティアを行うより、はるかに健全ではないだろうか。
●ぼくらは、へんなひとだけども、みてほしい
北島との2時間に渡る取材の後、握手して別れた帰り道。私は電車に揺られながら、先日の試合終了後に出会ったレスラー、サンボ慎太郎のことを思い出していた。
関係者が集まる熱気冷めやらぬロビーで、私は一人ソファに座っていた。ただただドッグレッグスの試合が見たくて夜行バスに飛び乗った世間知らずの大学生。右も左もわからない東京で初取材というプレッシャーに、経験と自信のなさが輪をかける。緊張していた。あんなに遠かった「障害者」という存在に、いま自分はこんなに近くにいるのに、あと一歩の勇気がなく声が掛けられない。無意識のうちに築いていた、自分自身と障害者を隔てる壁。周りの観客が何の気負いもなく、次々とレスラーに握手を求め賑わうロビーで、自分一人が相容れない存在のような気がして、私は唇を噛んだ。「一体私は何をしに来たんだろう」。
そんな時だった。
「どこから、きたの?」
よれよれのTシャツに使い込まれたキャップをかぶり、腰にはウエストポーチ。笑顔の真ん中には丸い大きな瞳が輝いている。ついさきほどまでリングの上で勝利の雄叫びを上げ、満員の観客からの拍手を一身に浴びていたサンボ慎太郎。脳性麻痺で言語障害があり聞きとりづらいその言葉は、しかし私にとっては、涙が出るほど嬉しかったのだ。
北島の言葉が蘇る。
「彼らのフレンドリーな性格が、ただでさえ生きにくい彼らが生き残るための術だったとしてもね、ずっと引きこもっていた僕がそれによって救われたことは間違いないわけだから、その恩返しはしなきゃいけないなとはずっと思ってるんですよ。」
2005年4月、彼らは初の海外公演の地、韓国へと足を踏み入れる。日本と比べ障害者福祉では発展途上の韓国で、一体どんな反応が返ってくるのか。罵声を浴びせられるだろうか。しかし彼らはきっと、また私と同じような頑なな健常者の心の壁を、少しずつ溶かしていくに違いない。そしてそれを彼ら自身が願う限り、ドッグレッグスは歩み続ける。
「ぼくは、しょうがいしゃとけんじょうしゃのあいだに、はしをかけたい。どうしてぷろれすをしているのか、かんがえてほしいんです。ぼくらは、へんなひとだけども、みてほしい。」
サンボ慎太郎の言葉が、流れる景色の中でいつまでも胸に響いていた。
(敬称略)
※このルポルタージュは池内晴美(人文学部2005年卒業)が独自取材を行い、書き下ろしたものです。
●協力
『障害者プロレス団体ドッグレッグス』
北島行徳
建野友保
サンボ慎太郎
ウルフファング
●参考文献
・「無敵のハンディキャップ」 〜障害者がプロレスラーになった日〜 <文春文庫>
・「ラブ&フリーク」 〜ハンディキャップに心惹かれて〜 <文藝春秋>
・「弾むリング」 〜四角い「舞台」がどうしても必要な人たち〜 <文藝春秋>
(全て北島行徳著)
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by omoshirosp
| 2004-11-12 00:50
| 特別企画